児童造形教育研究会  ( 児造研 ) jizouken

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子どもと造形  児造研ニュース

平成18年5月発行  No.17

児童造形教育研究会機関紙

編集・発行人   長 尾 宏 一

事務局 〒111−0051 

東京都台東区 蔵前3−20−2クレパスビル内

п@03(3862)3937

「子どもたちから始まる造形教育」
−みんなでつくることの意味 PartU― 
         をテーマに


児童造形教育研究会
 会長  長尾 宏一

先日、3年生の子どもたちと造形遊びの学習をしました。広告の紙をはさみで切って、長い帯状の紙にすることから造形活動を始める題材です。
 ある4人のグループは、まず紙を長く長く切ると場所を見つけてセロハンテープでくもの巣のように貼っていました。やがて、Aさんが広告の紙をクルクルと巻いて棒のようにしてBさんに見せると、「ハリネズミのハリみたい。わたしも作りたい。」と、言葉を返しました。一緒にいたCさんが、「これでハリのジャングルをつくろうよ。」と提案しました。ハリのジャングルがだいぶできた頃、Dさんは、そのクルクル巻いた細い棒状のもので顔をつくり始め、壁にハリのジャングルの守り神を表現しました。
 この子どもたちの造形活動は、今回のテーマを語ってくれているように思います。 私が提案した「細長い帯状の紙をつくって・・・」は、Aさんにより「細長い棒状の紙をつくって・・・」という新たな表現のきっかけが生まれ、Bさんの共感と評価によりグループの表現となりました。
そして、Cさんが表現のテーマを発想して提案することにより楽しい協同の表現活動が展開されました。Dさんは、一緒に活動しながら細長い棒状の紙を線描の材料とすることを思いつき新たな表現へと発展させました。
 子どもたちは、一緒につくることにより、それぞれのよさを発揮し、新たな表現を生み出したのです。一人で活動していては生まれない表現が展開されたと言えるでしょう。4人は、アイディアを出し合い、共感・評価を繰り返し、協力しながら一つのものをつくる、よさ・すばらしさ・楽しさを味わったに違いありません。
「評価が難しい。」「特定の子の表現になってしまう」「美術・図工は、個の表現だ」などの理由で、グループによる表現活動を避ける指導者も多いようですが、協同の表現活動は、今の子どもたちにこそ必要なことだと思うのです。
ぜひ、夏の研究会で、そのよさ、指導法を体感してみて下さい。
 


子どもの本音に寄り添える題材開発をめざして

安倍啓斎

 よくこんなことを耳にしたことはありませんか?
「図工の作品は友達同士で共同してつくるとお互いに自分の思い通りにできなくなる。だから、図工では一人一人の個性を生かすには個人でつくるのが適切である。」確かに、グループ製作をすると、どこかの班で友達同士のトラブルが起こりけんかになったり、一人の棟梁的な存在の子どもが他の子を仕切って活動したりする場面が見られます。けれども、果してそれだから友達同士でかかわり合って造形活動をすることはマイナスと言えるのでしょうか?おそらく、上記のようなトラブルが起こる場合には図工で友達同士がかかわり合う体験が少ないから生まれるのではないでしょうか?
 体育では友達と共に行なう活動を頻繁に行なっています。その中から楽しく活動するためのルールや友達とのかかわり合い方を学んでいきます。図工では作品を表現するわけですが、見る人を想定せずに表現することはあり得ません。お互いにかかわり合いながら表現する活動を繰り返していくうちに、子どもは自分のつくったものを友達が認めてくれることの喜びを味わうことでしょう。そのことは、他者と造形を通してつながり合える、そんな本当の表現の楽しさに出会えることと言えるのではないでしょうか?
その見ることとつくることの両方を友達同士で円滑にできるように造形表現活動を組織していくことが教師の大切な役割だと考えます。
 昨年度、平成小学校では、校内展覧会があり、それに向けて様々な協働でつくる活動を行ないました。
 一つは、同じ学年の児童同士がグループで活動する題材でした。もう一つは、異学年の子どものグループをつくり、造形活動を行なうものでした。これらの活動を行なって私自身が驚いたことは、普段行なっている個人の活動では集団の中に入ってこれず、何も活動をしようとしないかんもくやADHDなどの子どもが、共につくらざるおえない場を設定すると友達同士の中に自然と入っていたということです。子どもは本来、他者とかかわり合いたいのだと実感しました。そんな子どもの本音にかなう活動を提案できれば、と考えています。


「友だちの真似=カンニング」ですか?

石賀直之

図画工作の授業でよくある風景−
「せんせ??い、○○ちゃんがまねした??。」と言われたことありませんか?そんなとき教師の私たちは「○○ちゃんは自分の考えを持ってないのね」とか「自分らしい表現ができるように支援しないと」とか思いがちですよね。どうやらその考えの裏には『友だちの真似=カンニング』という論理があるようです。
真似をするといっても友だちとなかよく一緒にやっていて作品が似たというのはまだ許せます。しかし、さんざん友だちと雑談しておきながら友だちのアイデアをちょいと拝借♪なんていう子どもにはテストのカンニングをした子どもと同じような気持ちになるのも無理からぬことでしょう。
それでもあえて私はこういいます
どんな状況でも真似ることはカンニングじゃないんです。ものをかいたりつくったりすることに限らず、人と過ごしていると何らかの影響をうけあっています。影響を受けるだけでなく同じくらい影響を人に与えています。もっと言うと真似をした子が真似をされた子に与えた影響は相当のものがあるはずです。それをいやだと思うから「せんせ??い、真似された??」になるのでしょう。
図画工作に経済の論理が・・・・
カンニングするというのは競争原理の中で行われる不正ですよね。これは経済の論理です。インサイダー取引もカンニングの一種でしょう。芸術の版権の問題も経済の論理です。金銭が介在しているのですから。経済の論理そのものは否定しませんが図画工作の時間にこのような論理は必要でしょうか?
そもそも真似をするとはどういうことなのでしょう。
会場でじっくり話し合いましょう。


『みんなとつくる』:昭和27年のはなしから

大泉義一
 

 『みんなとつくる』と聞くと,すぐ思い浮かぶのは,「共同製作」です。現在,その教育的意義は十分に理解され,数多くの実践が展開されています。
 しかしこの「共同製作」,はじめから美術教育に位置付いていたわけではないようです。ここでは,昭和27年にデザイン評論家の勝見勝が紹介した『フランスの集団児童画』を見てみましょう。彼はまず,当時注目されていたH・リードの「アートを通しての教育」なるものが,「どうもただ個体心理のまわりだけに限られているように受けとれる」とし,それは近代の芸術がたどった個性主義,天才主義が「いつの間にか忍びこんでいる」ものであるとして問題視しました。そして「創造も美的態度も,やはり集団的なものを目ざしていてこそ,一般教育の場にふさわしい」として,当時フランスで試みられていた「集団児童画」を紹介しているのです。それは9〜14歳までの子どもが数名でグループをつくり,次のような手順で取り組まれます。「@主題の決定(教師設定またはグループ合議),A各自でデッサンを描き,それを持ち寄り合議によって構図の決定,B人数分の画面に分割,Cお互いに好きな色を塗りつつも,時折並べて全体の調和を協議」勝見によれば,こうした方法はルネッサンス以前では奇異なことではない上に,実は社会の多くの作業形態がこのようなものであるとして,一般教育としての美術教育に積極的に取り入れるべきだと主張しているのです。
 現在,個性と協働性との連関が重視されています。50年も前の勝見の提言ですが,再考してみることも意義あることと思います。いかがでしょう?


独りじゃない

北川智久


 子どもたちの砂場での遊びでよく見られる光景です。それぞれの場所で築かれていた造形物が、やがて水路のようなものでつながったり、子どもたちが協力して大きな山を築いたりしていきます。友だちと一緒に活動し、材料の触感や形、友だちの造形行為などに触発されながら、どんどん意欲やアイデアを増進させている様子が見てとれます。これは、本年度のテーマである「みんなとつくることの意味」や「協同の活動が広がる工夫」を最も象徴的に表している場面です。
 協同の活動は、各教科・領域や生活の中のどこでも行うことはできます。その中でも、造形活動における協同の活動は、色・形・材質感などを仲立ちとして友だちのよさを理屈ぬきに直感できるという点で大変重要であると考えます。
学校で造形活動をしている時、子どもたちは「一人」で活動していても、「独り」であることはありません。かならず周囲からの情報や刺激を受けています。見ること、見られること、教える、教えられる、貸す、借りる・・・、これらのかかわりのすべてが学びです。心を開き、よりよくかかわれる子どもに育てるためにも、協同の活動が広がる工夫を意図的に仕組んであげることは大切です。
 夏の実技研修会では、ねんどの塊を囲んでワイワイ言ったり没頭したりしながら「協同」のよさを味わっていただきたいと考えています。


紙のラブレター

中村哲夫


 「紙」は、乳児の頃から慣れ親しんでいる素材です。
思うままおったり、曲げたり、丸めたり、やぶ至りすることができるので、造形や絵の素材として使われてきました。中学年から高学年になるにつれて、板材や厚紙が中心となり、さらに、中・高の造形素材では、段々と使われなくなっていくことになります。
 むしゃくしゃした気分の時、それを晴らすために、新聞紙などの紙を「クシャクシャ」にしたり、「ビリッツ!」と破いたりしたことが、だれにでもあるのではないでしょうか?「スッキリした!」と感じるのでしょう。人間として生きていくのに貴重な行為なのです。
 そのことの重要性と、その行為を生かした造形活動について話し合ったり、体験したりする機会を設定することにしました。
 ぜひ、多くの方がご参加いただけますよう、ご案内申し上げます。


「造形的なやりとり」を通して

林 耕史

 学級の子どもたちのそれぞれのベクトルを意識した授業作りは、「みんな」で学習する、ということを考慮
すれば当然ですね。つまり、それぞれの子どもたちに机が割り当てられていても、子どもたち同士が遮断されているわけではないのですから。このことは、教室での授業を考える上で自明と思われますが、あまり意識されてこなかったと思います。
 とりわけ、図画工作科の授業形態は「個人製作」が暗黙のうちに定式化しています。図工は一人で追求するもの、個の表現を他人は侵してはならぬもの、とでも言うような「個人至上主義」的な雰囲気があります。
個人の表現を大切にするという基本姿勢は勿論尊重すべきものですが、図工は個人で進めるもの、と思い込んでいませんか?
 私は今後一層、図工など創作活動・表現活動で、みんなとつくる「協同」の姿が大切になると考えています。今回の実技研修で提案するのは、一人一人の表現が、友だちとの関わり合いの中から豊かになっていく協同的な活動です。分担で作業するいわゆる「共同製作」というものではありません。一人一人の表現によって各自が発信し、各自の表現が位置付く製作活動です。そして、一人一人の表現が友だちの表現に影響を与えたり、自分も友だちに影響されて変わったりするような相互刺激のある活動です。そのポイントになるのが、「造形的なやりとり」です。
 当然、子ども同士の衝突もあるでしょう。でも、「○○君のおかげで、ぼくにはこんなことができたよ。」「□□さんの色に、私の色が入って楽しい雰囲気になったんだよ。」そんなやりとりが生まれるような活動が、教室で展開されると素敵だなと思うのです。


共同、協同、協働…の見直し

平田智久

広辞苑によると、「共同」二人以上の者が力を合わせること。「協同」ともに心と力をあわせ、助け合って仕事をすること。「協働」協力して働くこと。…と示めされている。このことを参考にしながら二人以上の子ども達の行動を観ていると、二人で一緒に〇〇しているように見えて夫々が別の事をしていたり、同じように△△しているのに目的がどう観ても違う場合もあり、実に様々です。ですから「共同」?「協同」?わかりません。
また、幼稚園や保育園の現場でいまだに見かける活動に「共同制作」があります。先生(先生方=職員会議で)が決めたテーマに基づいて「こうしよう」「こうやって」などと指示が連発し、時には「みんなでやっているのに……ちゃんはどうしてやらないの」と叱咤している声が聞こえてきそうな作品に出会うこともあります。もちろん、そうした園ばかりではないのですが、小学校の活動の中にも感じることがありますから要注意です。そうした「やらされている活動」の中からは、子ども同士の関わり合い・刺激のやり取り・「やれた」という充実感・またやりたい…という意欲など育つはずがありません。むしろ、このあたりの育ちを保障することが保育の(教育の)ねらいですから、現実の様子からは腹立たしさを感じます。
子ども達の活動はおおむね自然発生的です。たとえば砂場でひとりの子が山をつくっています。その脇で黙々と溝をつくっている子がいます。そのうち山づくりの子はつくっている溝のすぐ傍を掘って山に砂を載せました溝づくりの子どもはそれを見て、溝づくりをやりながら山づくりにも参加し始めました。やがて二人は一緒になってあそび始めました。そうした活動の中でこそ意欲も意志も育つし、なんと言っても「人との関わり合い」が育っていきます。現代に必要な力はここにあるのでは…。


「カラオケ方式」の発表は図工にはありません

堀井武彦


 私は2年生の紙工作の活動はこうして始めます。
「このぺらぺらの紙を、テーブルの上に立たせたいのだけれど、だれか、教えてくれないかな?」
 この発問に、必ず、少なくとも2、3人の子どもたちが実演してくれます。VやW型に折ったり、円柱や四角柱の筒状に折ったり、教科書に紹介してある基本的な技法は、2年生くらいの子どもたちでも経験的に知っています。そして、手を上げなかった子たちも、「ああ、それなら知ってる」とつぶやいたり、友だちの実演を見てほぼ全員、紙を立てる方法を理解することができます。
 図工では、こういった場面がたくさんあります。教師が改めて紹介しなくとも、子どもたちが経験とし知っていたり、感覚的にひらめいた発想や技法から活動を展開することに適している教科と言えるでしょう。
 総合の活動で子どもたちが、グループごとにパネルの前で発表する状態を「カラオケ方式」と批判されることがありました。歌っている本人は熱唱していても、周りの人は次の曲を探していたり、隣の人とおしゃべりをしていたりという状況に似ているということから名づけられたものでした。
 図工では「カラオケ方式」の発表会はありません。図工の発表とは描いたり、つくったりしている瞬間がが全て発表会です。その瞬間、瞬間で友だちの活動に影響を受けながら自分の活動に生かしていくことが普通に行われています。「学ぶ」の語源が「まねる」なら図工では「みんなでつくる意味」なんて改めて考える必要がないような気がしませんか?


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